ブライアン・ロバートソン
Thin Lizzy and Motorhead
1956年2月12日スコットランドのグラスゴーで生まれたブライアン「ロボ」ロバートソン。チェロとピアノのクラシックトレーニングを何年も受けた後、彼はロックンロールシーンに興味を持ちギターとベース、キーボードとドラムの演奏を兄のグレンと共に始めました。17歳のとき彼はドラマーとして仕事をするためにロンドンへ行きましたが、シン・リジィがエリック・ベルを失い、ゲイリー・ムーアがトラで演奏していたとき、ローディーのビッグ・チャーリーがこの若き男にチャンスを与えました。フィル・ライノットとブライアン・ダウニーは彼を高く評価し、彼は仕事を得たわけです。
フィル・ライノットは、新しいシン・リジィのフォーマットを変更し、ツインギタリストで行くと決定しました。そしてロボとスコット・ゴーハムのツインリードが実現し、皆が知っているリジィのラインナップが完成しました。1974年から1978年にかけて彼はリジィに在籍し、「The Boys Are Back In Town」や「Live And Dangerous」などを収録した名作「Jailbreak」を制作しました。
イギリスでの「Live And Dangerous」ツアーの後、ロボはバンドを去り、元レインボーのベースプレーヤー、ジミー・ベインと共にワイルド・ホーシズを結成しました。ワイルド・ホーシズは2枚のアルバム(「Wild Horses」と「Stand Your Ground」)をリリースしましたが、成功せずバンドは1982年に解散しました。
シン・リジーからワイルド・ホーシズのアルバムの間、ロボは次のような人々とのセッションワークをたくさん行ないました。エリック・バードン、グレアム・パーカー、ピーター・フレンチ、スティーブ・エリス、パット・トラヴァーズ、ザイン・グリフ、ロイ・サンドーム、ティム・ヒンクリーなどです。また彼はデビッド・ボウイと「Boys Keep Swinging」の新バージョンをレコーディングしました。 1980〜83年の間に、ロボはウルトラヴォックスののウォーレン・キャンとハンス・ジマーの「Helden」プロジェクトに関わっていました。 様々な理由からこの傑作はリリースされていません。
ファスト・エディ・クラークがモーターヘッドを去ったとき、レミーとフィルティ(Lizzyの大ファン)は両方ともロボをバンドに入れることに決めました。そしてロンドンからのフライト中に彼らの最新のアルバムを聞いた後、彼はバンドとアメリカツアーの真っただ中にいることになったのです。モーターヘッドはロボのキャリアの中で短い仕事ではありましたが、彼は1983年に彼らと過少評価されている「Another Perfect Day」をレコーディングしました。
ロボは80年代後半の大部分をグラスゴーの彼の古い友人フランキー・ミラーと一緒にプレイしており、彼らはアルバム「Dancing In The Rain」をレコーディングし、アメリカ、ヨーロッパ、イギリスツアーに出ました。ロボはおそらく今もフランキーと仕事をしているでしょうが、彼は'93年に脳卒中を起こしもう歌うことができません。ボブ・シーガーを含む多くの人はフランキーを史上最高のホワイトソウル・シンガーと考えています。ロボはまた80年代後半から90年代半ばまでポーグスのシェイン・マクゴーワンと仕事をしていました。ロボ、シェイン、クラッシュのジョー・ストラマーはシェインがポーグスをやめた後バンドを結成しました。彼らはシンニード・オコナーとシングル「Haunted」と、ナイキの広告に使用されたフランク・シナトラの「My Way」の面白いバージョンをレコーディングしました。俳優のジョニー・デップがギターで録音した曲もあり、90年代前半にはロボは彼の代わりにロック・シティ・エンジェルズのバンドに加入ています。ロボとシェインは別の道を歩み始める前に、1996年のクリスマスの直前にリリースされたシェインの「Christmas Lullaby」をプロデュースしています。
その他のプロジェクトとして80年代初頭の未発表のHeldenプロジェクト (ハンス・ジマー/ウォーレン・キャン)、ロボがOKを出さなかったひどいミックスでボビー・テンチという名前でリリースされた未発表ソロバージョンの「Still In Love With You」などがあります。ゲイリー・バーデンのステイトトゥルーパーで少し仕事をしたときに、Head 2 Headというあだ名のキーボードプレイヤーとコラボレーションしました。 ヘルファイア・クラブとロック・シティ・エンジェルズというバンドも組みました。1995年にザ・クランが結成され、事態が再び正しい方向に進んでいるように見えました。彼らは5曲入りのCDをレコーディングし、イギリス、アイルランド、スカンジナビアをツアーしましたが、スウェーデンのオレブロでの成功したギグの後で、その勢いは突然終わってしまいました。酔ったファンがロボの左手の親指を誤って折ってしまったのです!回復するのに約6か月かかりその頃にはバンドは解散していました。1995年のザ・クランの終了後、ロボは自身の制作会社ヨーデル・インターナショナル・プロダクションを設立し、ブリティッシュ・エアウェイズのVIPラウンジのサウンドスケープを担当し、またロブ・ラモンテ、ビタームーン、ジョン・ノーラム、メルドラム、デア、ドッグフェイス、ロータス、ファイブ・フィフティーン、アッシュなどのアーティストとレコーディングとツアーを行ないました。最高なトーンでこの男が今後何をするかが見ものです。
Headrush Gear Used: